だけに「みえる」ものがあるならば

はらたく世界の、かたすみで

消費対象じゃないLGBT

小学生の頃から腐女子だった。
大人になっていっても、LGBTのニュースを読んだりしていて自分は理解がある人間だと思っていた。

でも、ある時男性カップルが結婚式を上げる様子がテレビで放送された時に、自分は理解者なんかじゃなかったことに気づいてショックだった。

それが分かったのは、その男性カップルが結婚式での撮影でお姫様抱っこからのキスシーンにショックを受けている自分がいたからだ。ヘテロカップルなら全然びっくりなんかしないのに。

だから、いくら理解者だなんて自負しようとも、私の理解なんてこの程度。もしくは理解がある振りだったことに気づいた。

案外、差別を丸出しにする、もしくは表面に出さないけど嫌悪感を持つ人間より、私のような知ったか理解者の方がタチが悪いのかもなんて反省した。
自分の理解の枠なんてほんとちっせー。

そんな事を思い出したのは、生田斗真目当てで見た、ハートネットTVの彼らが本気で編む時は、の特集を見たからだ。

私はたまたまヘテロだったけれど、軽い発達障害だったり、過去に貧困状態だったりと、何らかのマイノリティー属性意識があるから、LGBTにも興味があるのかしら。

もし、姉やら友達がLGBTで小さい頃からそういう環境にあったら、もっと理解の枠が広くあったのかなぁ。

あと、また関係無いけれどいわゆる「リア充」がある種、羨望の対象であったり、時として嫉妬の対象となるのは、変な言い方だけれど、様々な偶然が重なってマジョリティ属性であることに無意識であるからこそなんだろうなぁ。だから、時として理解の枠がおそろしく狭く、マイノリティー属性は彼らの「無意識」に傷つけられた、みたいな図式が語られるのかな。

正直、私だって当たり前だと思い込んでいる事があって、無意識のマジョリティーであることがあるだろう。

それが時には人を傷つけるかもしれない、その事を忘れずにいたい。

追伸.

映画で、あれを編んでくれるお母さん見習いたい。